やっぱりなかなか辛い。NW(North West)は外人でいっぱいだった。いきなり U.S.A.だ。
「体を左右に揺らしてごらん」
デッキに見送りに出ている妻にまだ通じる携帯電話で言うと、小さくだが、しっ
かり見える黒い影が左右に揺れるじゃないか。さっき別れたばかりだったが、
もう離れた場所になってしまったと思っていた僕らに(少なくとも、彼女が見
えた僕には)再び、一緒にいる感じが戻ってきた。少しほっとして、満員で混
みあった機内に滑り込むことができた。
そして、妻の見送るデッキが小窓の外に見えることを祈りながら、 離陸体勢に機体をうならせる飛行機にガタガタ揺られた。轟音がひとし きり。あのぐっと下からすくい上げられる感覚と共に再び祖国の土を離 れた。見送る愛する家族の様子をただただ想像しながら、しばしのお別 れにやはり涙がね。
しばらく眠りに落ちた。30分の眠りだった。目覚めると、何となくみ な寝ていたようだが、僕が起きた先駆だったようだ。アメリカを紹介す るTV番組がスクリーンに流れていたので、英語のヒアリングにと、イヤ ホンを耳に押し込んでこれを書いている。あちらへ行ってから、Tさん に煩わしい神経を使うのか、などと思いを馳せながら、人間はくだらな いことに悩めて幸せだとも持った。そんな才能に恵まれていなければ、 まともに不安や寂しさと闘わなければならないからだ。今、最初の機内 食を待っている。先程のドリンクサービスでは、恒例の赤ワインを注文 したのだが、カリフォルニアのキャベルネが出てきて、にんまりしなが ら飲み干した。そのアルコールの火照りもあってか、このアメリカ行きの 最初の空の旅は、暑く、うす暗く、汗ばんでいる。家族に話したように、 アメリカに向かう飛行機は、あっという間に夕方を迎える。今外は、既 に夕闇に憂えている。
ここで Chiken or Bief? の声。Bief! と叫ぶ僕は、うぶな初心者なの である。2年間、頑張るのだ。
数時間のだらだらした眠りと、思わず遭遇したラジオのクラシックチャ ネルから流れてきたモーツァルトのピアノコンチェルトのおかげか、幾 分、気分が良くなってきた。不思議なもので、一眠りすると、あの寂し い別れの一場面も昨日のこと、とばかりに、余裕を持って眺めることが できるようになった。なぜか論文を書き進めたり、辞書を片手に英語力 回復に勤しんだり、なかなか前向きになってきた。なぜか人間関係なん かの小さなことが、本来の小さなこととして認識できていて、本当に人 の心はミズモノである。
今回のフライトは、飛行機の中を常に人がうろうろしており、客室乗 務員も何だか上の空で、空の旅だとでも言うのだろうか。下らない冗談 が出たのも、耳がキーンとなり、着陸態勢に入ったことをうかがわせる から、気持ちがハイになってきたからかも知れない。日本人のスチュワー デスに税関申告書類をチェックしてもらった。この親切なこと!NW1 2はこの日本人によってサービス業たるを保っていられるのだと思った。 こうまで日本人至上主義に傾倒しているところを鑑みると、僕はある種 の人種差別に少し注意する必要があるかも知れない。
何事も最初が肝心という。
この2年の「最初」というのはいつからいつまでなのであろうか。
アメリカでしかできないこと。今の年齢でしかできないこと。集中しな
くてはならないポイントはある程度はっきりしているはずだけれども、
住む場所だとか、「序章」がまずは目の上のたんこぶである。それが一
段落した時が「最初」だとしたら、まずはその序章に集中することにす
るか。
いよいよ12時間の空の旅を終え、デトロイトに着陸である。
これではっきりとアメリカ入りである。
日記、三日坊主でないといいのだが。。
(以下、書いたのは27日だが、今日の内容なのでこちらに)
昨日はピッツバーグ行きの飛行機が30分くらい遅れたために 15:30 くら いに着いた。迎えに来てくれたTさんの車に無事に到着したスーツケー ス2つを乗せると、宿泊先の Hampton Inn へ。荷物を置いて、すぐに CMU apartment office でアパートの資料を貰う。CMUへ入り、秘書の温和な Louise と挨拶して Yingli に会った。
2/27/2001 初日
今日は初日ということで、スーツを着て行った。
11時から Yingli 、Jeff と3人でミーティングをやることになっていた
ので、部屋で荷物を整理してから 9:30 くらいに朝食をとって、10時の
shuttle bus で学校へ向かった。この Hampton Inn の朝食は無料の
continental breakfast なのだ。当然 Shuttle も無料である。これは嬉
しいな、と思った。Tさんもこのホテルに泊まりながらアパート探し
をした口なので、僕の状況に親近感を感じてくれているようだ。
研究の細かい話をして、12:30くらいにミーティングを終え、T さんと SSN (Social Security Number)を取りに Shadyside のオフィ スへ行った。簡単に手続きが終わり、学校へ戻って、日本人が良く行く というカレー屋でチキンカレーを。米が極端にタイ米で、パソパソなの である。。何だか食べている途中から胸焼けを感じつつも、食べ終わっ て、大学で最安の自動販売機でジュースを買うと、何と、冷えたコーラ がもう一本一緒に出てきた。。得した。
それからまた Yingli にプログラムについて講釈を受けた後、Debbie と
いう太った事務員を訪ねて CMU の IDカードを作る手続き、給料振込み
の手続き、銀行口座の時に必要な書類の説明を聞くなどした。一応 HUB
というところでIDカードは作ったものの、SSNがないせいか、ドアは開け
られない、バスはただで乗れない、など、不完全なカードだった。
それから、先生に何とか会えて、やっとお土産と頼まれていた
ソフトウェアを届けながら、今後の展開について少し話した。そのときに、1
月の不祥を詫びたが、3分の1でも負担するから、きちんとすればいいと、激
励に近い扱いで、全く恐縮である。
コンピュータのアカウントも申請し、コンピュータ自体も Yingli が用
意してくれ、木曜(明後日)にはガイダンスもあるので、保険について
も整うよう、とんとん拍子で話が進んでいる。嬉しい限りだ。アパート
の方も明日Tさん、Oさんに車に乗せて貰って、あちこち集中的に
回ることになった。何とか今週中に決めて、来週の月曜には移り住む、
という流れになれば、最高かな。それにしても急な話であるという印象
だ。
昨日は夕飯は tagliatelle だったが、今日はサンドイッチ。毎回アル コールを共にしていて、時差ぼけを無視してハードに行動しているせい か、飲むと途端にへこたれそうになる。それでも、今日はホテルまでちゃ んと歩いて帰ってきたので、ご褒美にお風呂をためた。お風呂をためて 思い出すのはお風呂に入ると、本当に嬉々としている妻の顔である。 それから「たまにはお風呂ためれば?」と言っていたのを思い出す。こ の最初の大変な時期は、やはり一緒に来ていたら大変だった。僕自身の 甘えん坊が出せない分、頑張れている、という気もする。今日も午前中 にミーティングが始まってすぐに逃げて帰りたくなったくらいだ。
さてさて、初日はなかなかのできではないだろうか。明日も頑張るた めに、そろそろ寝ようか。
3/1/2001 一段落
いやぁ、やっと一段落した感じ。
今日もおととい入った Hemingway's bar で夕飯を食べた。
今日は Florentina Pasta。太いパスタで、、めちゃくちゃ腹はりました。
今日はね、何だかとっても外が物騒で、帰りに変な兄ちゃんに身の上話を
たらたら聞かされた挙句に、何だか助けてくれれば教えてくれた連絡先に
連絡する、と変なことを頼まれた。誠に荒唐無稽な陳情である。これで素
直にお金を出す奴だとでも思われたとしたら、これは日本人の恥やも知れ
ない。幸い sorry sorry と2度謝ったら、「全然助けてくれないの?」
と捨て台詞を残してさっさと行ってしまった。悪態くらいつかれるのを覚
悟していたけれど、人が良い人だったのかな、なんて考えながらホテルに
無事帰ってきた。
やはり、しばらくこの場所に住むつもりになると、住むということは、やっ ぱりみんな真剣になるのかな?なんて思われてきた。どこの人も場所に関わり なく、それぞれ生活の苦労と人間づきあいの中で人生を送っているらしい。ど こにいても、妻がこの場面に居合わせたら、どんなだろう、と想像をするので ある。2ヶ月。さて、長いのかな、短いのかな。
それじゃ、もう寝るとしよう。