拝啓 足は良くなったかい?僕はいつも変わらず困った人ですが、元気を
トリエにして頑張っています。

  普段から鈍くてマグロな(何も感じない、不感症なの意)僕も後半は胸が
苦しく、大きな感銘を受けました。どうも有難う。あれは貴重な体験でした。
あなたが最初にあの映画を貸してくれた意味を考えてしまいましたが、その
ストレートさがあなたの実直で敏感な感性を感じさせます。まさに芸術家肌
だねぇ。僕なんかは社会性という壁(というか方便というか)を必要とする
人間関係に囲まれていて、なかなか難しいけど、結局は人間の中心で触れ合
うことが必須なので、お互いバケの皮をはいでつき合えた人が友人となり、
そういう人の中で生活するのだから、まぁ、幸せな環境ではあるのかも知れ
ないなぁ。

 あれを見てから「マーラー」というグスタフ・マーラーの半生をちょっと
独特なタッチで描いた作品をビデオ屋で借り来て見ました。やっぱ作曲家は
ああなんだネ(って全然わかんないね。)
 いやぁ、いつの時代でも自分と向かい合うというのは、大変辛いことだね。
やはり”人間”はヒトという動物だから、犬や猫みたいに繁殖、生殖欲に
支配されるし、生存していく過程では、社会性という鎖にしっかり縛られて
いて、自分という個体のためだけに生きていけない。
 その中で、大きな、長い(永い?)目で自分のいる空間を見据えて、湧き
出る何かを形に留める。ウソはイコール死だから辛いネ。”本当”のものに
しか生きている意味はないのだから...。しかし、”生活”と真の”生存”
とは人間(特に宇宙観を持って普遍的な感性に目覚めてしまった人間)に
とっては相反するような所があるから、正直に信念を貫くのが困難になる。

 面白いと言うべきか、愛情を注ぐ相手が人類になる人もいれば、一人の
女性(男性)になる人もいるんだね。多分、自分という人間を極限まで
見つめると、自分という小さな窓を通して”ヒト”という動物と彼らの
繰り広げる精神生活の崇高さの行く先にある光とが見えていくのだろうと
思う。そうすると健気な”ヒト”の総体が”人類”になったり”一人の女
(男)”になったりするのだろう。ヒトは弱いから一人で生きていけない。
だからヒト同士で助け合っていくと思う。その手段が酒飲みながらの話、
語らいである場合もあろうけれど、音楽であることもある。それは、同情
共感の類の音楽であることもあろうけれど、精神生活の行く先を暗示する
ものであるかも知れない。それはきっと夢を与え、自分がちっぽけで汚くて、
つまらないものに見えて絶望したヒトを「まだやれる」と勇気付けるものに
他ならない。
 そう、舞台に立つものはこの役目があるものと信じています。とっても
重いようだけど、一部の人間のみに理解できる一つの使命だとも思います。
(これはこの間少し話したね)

 作曲家の生涯を描いたこれらの作品には、僕にはこんな感じのメッセージ
がギューっとつまっているような気がして、ちょっとボールペンを執ったら
ワァーっと出て来てしまいました。良くわからん文章を並べ立ててごめんな
さい。
 僕は日本という文化が非常に親愛なるものに思えて、この国独特の感性で
物事を捉えることができる(ように育ってるハズなんだけどなぁ...)自分が、
とても恵まれた者だと思います。

終りは突然来るそうなので手紙も突然終る。
            5/5(金)20:07
            バイト先の9F建てビルの1F休憩室より