この世に存在する音楽のほとんどはクソである。
音楽という分野に入れるのさえためらわれる鼻クソだ。

それは膨大な反論を得ることができるほど、かなり触れて欲しくない真理だと
心得ている。

音楽は断じて弱さから逃れる隠れ家ではない。
しかし大半は勘違いし、まさか自分が隠れ家に音楽を使っていようなどとは思
ってもみないのである。
精神的弱さ、対人的恐怖からの逃避や帰属本能の不満の解消、はたまた他人に
対して見栄をはる道具として音楽を使っている。

音楽でも特に集団で活動するコーラスやオーケストラはそういった輩が多い。
そんなやつらが内省的な曲や、ましてや作曲家の自己への問いかけから生まれ
た人類の遺産とも言うべき傑作を演奏するなんてのは、茶番としか言いようが
ない。

しかし現実はそういう茶番が最も人に受けるのである。
そしてそれを羨む第二号が「自分もこういう文化的な趣味に参加したい」とま
すます地に落とすのである。

人の世の哀れなり。
君達弱き生き物らは、みんなで渡れば恐くない橋を見出したのだろう。
せいぜい安心して渡っていけばいい。

しかしほんのウワズミの、一握りの人にはわかっている。音楽がいかに人生
を映し出し、本当の芸術的官能が人の芯を剛くするかを。