私は女性を限りなく愛す。
たとえ、女性たちが生来の高慢さを持っていたとしても。
また、か弱さを楯にとって生きていたとしても。

そうして、男である私は女性の前にひざまづく。
女性の乳を崇拝する。
若い指先を、下腹のふくらみを、そして匂立つ性器を。
隠されたエロティシズムに脳幹を威圧されながら、
足の膨らみをなめ、首筋の純潔を飲み干し、腰のくびれを愛でる。

喧騒の愛。

そしてまた女性が口を開くとき、洩れ出る透き通った声色にはっとする。
その時、ふたたび愛が帰ってくる。
柔らかな眼差しと美しい微笑みにつつまれながら、夢を見る。


男である私は、一連の記憶をまんじりと見つめながら、自然界に仕組まれた
大いなる理を思う。それは人間たちの思惑とはまるで無関係なところで、
半ば自動的に時を刻んでいるようで、人間はそれにあらがう術を知らない。
男性が男性たり、女性が女性たる、そんな単純なところからも、もはや
抜け出ることはできないのである。

そんな事実を人間のあるものは諦め、またあるものは認める。

女性は観念を操る術を知らぬ生き物であるが、それを実際欲しいままに
している男性は、今度は母性に宿る確かな存在の印を求める。
女性は腹を痛めてわが子を覚え、男性は観念をもってわが子を得るという。
世界を浮遊する男性の観念を、女性は抱き止めるのである。


私は、存在の責任を果たすためにも女性を愛さなくてはならない。
女性がこのような考えを決して持たないということを私は知っている。
そして、再び微笑みを、黒髪と腰のくびれを投げかけてくるのを知っている。
私の思索の外側で、私と女性という存在同士が、無声映画のように音もなく
触れ合うのを想像する。
私は女性に抱き止められ、観念を失った女性を限りなく愛するのである。